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【所長コラム】弁護士になりたてで携わった、北海道クロム訴訟(1977年)③ 〜原告団事務局長 佐藤さんが示した「最後のぬくもり」

北海道クロム訴訟(1977年)に関する1回目はこちらの記事を、2回目はこちらの記事をご覧ください。

 

佐藤さんの闘病生活とその最期の様子を「最後のぬくもり」として、映像にまとめたことがあります。

 

▶︎ 村松弘康:「佐藤さん、これから8ミリを回すよ、佐藤さんの姿を裁判官に見せて被害のひどさをわかってもらいたいんだ。」

▶︎ 原告団事務局長 佐藤さん:「こんな姿でもいいのかい?」

▶︎ 村松弘康:「そのまま、そのまま。」

 

佐藤さんは8ミリカメラに向かって、「早く裁判が終ればいい。」と何度も繰り返していました。

それから間もなく、佐藤さんと会ったのは病院の解剖室でした。体内に蓄積されたクロムの含有量を測定するため、臓器が次々と切り出されていました。

 

解剖を担当していた医師が、

「村松さん、これで佐藤さんとは最後だ。まだ、あたたかいから、さわってあげなさい」

と言って、ゴム手袋を渡してくれました。

 

私がゴム手袋に手を通して立っているところに先生が近寄り、私の右手を取り、空っぽになったおなかの中にすっと手を入れてくれました。拳いっぱいにふわっと温かさが伝わってきました。

「まだあたたかいだろう?」

という先生の言葉を聞きながら、ただ、私はうなずくしかありませんでした。佐藤さんは生前、裁判所でこう語りました。

 

「原料を焼く焼成の職場では、換気設備がまったくない中で、クロム粉じんが灰ふるいで上から降ってくるように立ち込めていました。」

「蒸発の作業場にはいつも黄色いクロムの蒸気が立ち込め、マスク、口、鼻、顔は真黄色になります。」

「クロムの怖さを知らない私たちは、暑さのため息苦しくて、いつもマスクを外して作業をしていました。」

「栗山工場のひどさは『地獄の釜ゆで』と言っても言い過ぎではありません。」

 

裁判中にクロム鉱さいを埋めた敷地に建てられた民家の土台に使われた、コンクリートの東石は黄色く変色し、溶けて細くなっていました。コンクリートまで溶かすクロムの恐ろしさを身をもって感じた瞬間でした。

昔は、働く人の健康に対する配慮が十分でなかったため、劣悪な労働環境の下で尊い命が失われていきました。

もう二度と繰り返してはならない歴史です。再発を防止するために、裁判という公の判断を求めたことは、意義のあることでした。

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